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小学校に日時計を!

2019年01月26日

今日は「小学校に日時計を!」という話題です。

このタイトルは私が付けたものですが
もととなった文は
「和の舞」の千賀一生(ちが かずき)さんが
縄文暦に関して書いています。

以下のメルマガです。
なるべく、そのままご紹介しますね。

(スマホなどでも読みやすいように、
改行は私の方でさせていただきました)

以下 千賀一生さんからです。

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みなさん、おはようございます。

年の初めの月ですので、
暦について、もう少しふれておきたいと思います。

私は田舎で育ったため、
幼少期は一日中畑で過ごすことがほとんどでした。

家族はおにぎりを作って畑に行くのですが、
食いしん坊の私は、
何度も家族に
おにぎりはいつ食べるのと
しつこく聞くために、

祖母は畑に着くと
私のためにまず日時計を作ってくれ、
棒の影がここに来たらおにぎり、
ここに来たら帰るよと教えてくれ、
土いじりをしながら
太陽が時計の幼少期を過ごしました。

人工物がない広々とした畑では、
基本的に存在するものは大地と太陽の二つです。

このなにもない中にいると、
広い空間の全体が刻々と変化し、
見渡す限りの空間の生きているような
変化を感じます。

大きな命の懐の中にいるような
感覚になります。

毎年それが繰り返されると、
この懐には
一年で大きな鼓動が生じているのが
わかります。

冬の太陽と
夏の太陽はまったく違うのです。

都会にいると、
時を数値でとらえがちですが、
このような中にいると、
時は、数値ではなく、
大自然の脈のように感じます。

私が生まれて初めて理解した時計は、
機械の時計ではなく、太陽の時計。

現代の子供たちは、
いきなり機械の時計の見方を教えられ、
数値で時を理解する育ち方をしますが、
私はこれをとても不自然に感じます。

縄文人が
冬至を最大の節目と認識していたことは
遺跡からわかりますが、
なぜ、冬至なのかが
私には経験的感覚でわかります。

これはまず、
計算しなくても誰の目にも
当たり前にわかるからなのです。

遮るもののない自然の中で生活していると、
自然界や太陽の運行をじかに見て
生活します。

当然、
冬至の節目はいやでもわかるのです。

太陽の昇る位置がずれてゆき、
折り返して逆行するポイントに
何かの意味を感じるのは自然の感覚です。

ましてや
その節目に人の生死が多く生じますから、
重要な日と認識されるのです。

さらに、もう一つの折り返しポイントと、
両者を結ぶ中間でも生死が集中しますから、
四つの節目は、
自然な流れで重要と認識されてきます。

(生死が集中するということは、
生きている人の中にも
小さな生死が生じているということです。
これが節目のリズムをもたらします)

ただ、縄文の大きな特徴は、
集落の全体が
この太陽の運行に合わせて作ってある点です。

たとえば
日の出の東の門の柱の影は、
冬至の日に集落中央に至り、
夏至に中央から最も離れます。

集落中央近くの柱の影は、
朝は集落の西に、
昼は北、
夕方は東に向かい、
日時計の役を果たします。

集落そのものが日時計であり、
カレンダーでもある仕組みです。

これは、
彼らが時というものを、
この上なく尊んでいたからです。

現代のカレンダーの節目は、
自然界の運行とは不一致です。

それは、
私たち人間のもつリズムとも
不一致ということです。

大陸由来の旧暦の暦も、
太陽の運行とは不一致です。

縄文暦は、
この私たちの原点のリズムを取り戻せたら
という思いで作成したものです。

私は、幼少期を思い出すと、
太陽の下に土まみれで過ごした日々が
本当に幸せであったと思います。

大地と太陽は、
私たちを無条件で幸せにしてくれます。

そして、
幸せにあるべき自然のリズムを
人間にもたらしてくれます。

都会にいると
この大地と太陽のリズムから
外れてしまいがちですが、
それを取り戻すことが大切であると思います。

ぜひ今年も縄文暦を
ご活用いただけたらと思います。

そして、
時には大地の上で土まみれの一日を!

[chiga-message:0133] 大地の暦 より
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以上、千賀一生さんのメルマガからでした。

縄文暦のおススメなのですが

私はこれを読んで
小学校に日時計を!
と強く思いました。

日常に日時計を置きたいと思っても
庭に日時計を置ける家がどれくらいあるでしょうか?

とても少ないと思います。

マンションのベランダでも
時間によっては
日が差さないということがあるでしょう。

そこへ行くと、小学校は
広い校庭を持っていることが多いので
その一角に日時計を置き

小学生に日時計の読み方を教えたらいいと思います。

できればその日時計は
わかりやすく
美しいものであってほしい。

子ども時代を思い出すときに
思い出されるようなものであってほしいと思います。

そしてそれを教える先生も
単なる理科の一教材ではなく
私たちが
地球の上に住む生物の一員であり

太陽の恵みを受けて生きていること

さらに、日本なら
地球の上の日本の緯度が
どんなに恵まれたものであるかなども
合わせて伝えてほしいと思うのです。

(浅井あきよ・記)